働く動機って、単純とやはり思う。そんな話。

働きたいという”当たり前の感覚”を持つ人が、きっと経営者の私には、大事です。今は、情報を相当に開示する事を求められます。ですので、福利厚生を含め、様々な事をリサーチされ、募集する際には、相当数の情報を開示する事が求められます。

エルボシに認められた事、これは、働く女性にとっては、意味を持つと、個人としては信じています。社労士の先生、スタッフ(歯科は女性社会というのが私の意識)と共に、職場環境を作る。或いは育てていく。そんな感じの運動の結果、評価された。(ありがたい事です)歯科クリニックというのが、女性中心の職場である限り、エルボシという勲章を取っても悪くないと考えます。唯、女性中心であったとしても、男性スタッフが逆差別を受ける事も行けないと考えます。両者が活躍できてこそ、何ぼと考えます。

ここの努力を誇るとか、自慢したいという意識は、毛頭ありません。世の趨勢が、女性活躍社会というキャッチコピーが闊歩している。これに対し、何かを悪く言いたい訳ではない。寧ろ、男女共同活躍社会が、本当はあるべき表現と考えます。でも、男子が言えば、多様性から外れているとレッテルを張られる可能性があるかもしれません。あるいは、少数派を無視しているというレッテルを張られる事すらあるかもしれません。

エルボシという一つの制度が設計されているにも関わらず、そして、そこに向かう努力をされている企業が既にあるにも関わらず、女性活躍社会と訴える。では、その象徴におかれるエルボシに対し、努力や運動を継続している経営者や、企業は何処に追いやられるのでしょう。嫌な言い方です。

更に言えば、女性活躍社会と訴える政治の方の所属される党は、党組織で働く女性が、彼らが唱える女性が活躍されているのか?メディアさんも然りでしょう。ただ、数という視点であれば、人の目を引きやすい政治家さんに女性の数が増えるべきだと、私からすれば安直な捉え方をしている様に感じてなりません。嫌な事に目が向うのは、私の性格が悪いのでしょうか。

もう一つ。組織の生産性という括りで考えると別の見方も出来るかもしれません。男子であれ、女子であれ、どう上手に活躍して頂くか。繰り返しになります。如何に効率よく、確実に、安全に生産性を挙げるかと、ここに焦点をあてる事となります。

それには、女子という性が活躍しやすい職場環境、男子という性が活躍しやすい職場環境を考えれば良いだけだと、単純な私は考えてしまう。

単純にしか考えられない私の場合、働きやすい職場環境を作るには、男女の視点、それぞれの感性に対しルールを定め(この場合、就業規則の範囲で、必要なら就業規則の改変を含めて)、新たに決まり事を乗せれば良いと考えます。その運動を続けた結果が、そんな評価(エルボシ)を受けるに至ったと考えます。

その決まり事を作成するに辺り、審判の役割を専門家に求めます。これだけを行ったに過ぎません。私は法律に疎いし、経営者である以上、労使協定という言葉が象徴される様にスタッフと全て利益が一致するという事はありません。

審判に求めた条件は、ここの理念をしっかりと理解してもらい、連続性の論理の中で、丁々発止の繰り返しであれ、必ず論理の中で話が進む事。実際、これだけでした。観念で縛られる平等という言葉に象徴される発想は、その矛盾点を付いて、論理的思考に戻る事だけを求めます。

そんな連続から、ここのクリニックでの働く上の決まり事、働き方が定まって行きます。現在も、進行中です。

そんな実際の前で、募集する際の面接で、閉口し続けた事もあります。働きたい動機に関し、目を引くものがあれば素敵でしょう。何分未経験故に、それが勘違いな物でも、意気込みを感じられる物ならば、嬉しさを覚えるかも知れない。でも、必ず福利厚生と雇用労災を、最初に確認される。仮に、その項目が紹介する媒体に記載が無ければ、その確認は必要でしょう。そこは、否定しません。

個人としては、相当に違和感を覚え続けます。何故、面接の開口一番、福利厚生を確認されるのだろう。仮に別荘や、宿泊施設やエンターテイメント等の余暇に活かす物をお求めなら、大企業での面接を求めればよいと思ったりもします。ここのクリニックは、おそらく理想として国が定めた分相応の物以外、用意する財政力しかありません。

働く事で、何を目指したいか。そんな、私の考える普通の感覚を、どうしても感じる事が少ないなって、振り返ると思い出されます。

これは、当院での経験だけなのかもしれません。だから、独りよがりの勘違いかも知れません。

でも、面接時の注意点を、ネットを返し読めば(全てを読んでいる訳ではないので、個人の理解の範疇を出ていない可能性は否定しませんが)理解できる事は、福利厚生・雇用労災の有無の確認を求められている。注意点という事は、確認できたならば、別にそれ以上の行動は不要と考えたりもします。

あるいは、どうしても問いかけるべきという意識をマニュアルとして紹介するなら、せめて面接の終わりに確認できないのか?そんな事を感じたりもします。

一介の人間の、所感ですので、大したものではないです。面接をした全ての人間に、これが当てはまる訳ではないと断わりも入れます。

人を介し調べ、人を介し、経験を知りながら、改めて面接に入る。返し、ネットを返せば、そこから情報を、引き抜き、その情報を自分流に活かす。両方を活かすのが、もしかしたら素適なのかもしれませんが、中々、両方とは難しいのでしょう。

別の視点から見れば、欲する情報は、ネット上で既に用意されている。ここに、便利な情報があると安心できるのと同時に、上手い具合に、併せ個性の把握もされる。その個性が、”人として”向上する事が出来なければ、直面する問題に対し、そのレベルでネットは情報を置いていく。ちりばめられた情報に解を求める事になれども、賢くなったネットは、そのレベルの情報が目に届くよう用意される事となる。

そんな事を感じます。

当院は、応募を募って、同じことを繰り返す事(を経験する可能性を持つ事)に、ほとほと参り、今回は「働きたい。生きる為に働きたい。」そんな人がいないか。少ない人脈に頼り、縁を頂戴します。

そんな経験の話でした。

 

 

 

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