ナビゲーターの丸幸 礼子です。
もう少し前回の話の続きをしたく思います。
良く”患者さんと話し合いの元で決めています”と、一見すると至極当たり前に感じる表現を目にする事があります。
もしかしたら、市民権を得たかもしれない表現なのでしょう。でも、どうやら、うちの先生はあまり好ましく思っていないようです。問いかけても興味がないのか答えてくれません。機会があり、何気にふとした拍子に聞き出せました。
『主訴を持ってくる患者に、改めて話し合いで決めるって、そんな表現。日本語的におかしくない?』
情報の共有とか、治療の開放に向けた情報の共有を目的とする場を設ける。これはきっと、素敵とか大切な事とかなのでしょう。
『その場を持つ事を表現するなら、カウンセリングとか打ち合わせが自然だと思う・・・』そんな事を呟きました。
先の患者さんです。
「難しい事は分かりません。私はただ治りたいだけです。1日も早く食事がしたい!それだけです。」
この確認作業を話し合い場と表現するなら、この場は検査含め6回設けた事になるのでしょう。
*実際は根っこの治療にも入っております。計画は別として指針が2回目で固まったおかげです。
根の治療しながら検査、データを集めました。表現する事は難しいです。
院長の言葉です。
『よし、早速始めましょう!すべき事を承知しました。』
こんな作業も臨床にはあるようです。
主訴の明瞭化という確認作業において、話し合いだけで纏まる。こんなケースが毎回あるとは限らない。
専門家らしく問題(課題)を把握し、何を持ってその訴えが構成されているのか。
これを、疎かにしてはいけないと、私どもは考えます。
問題(課題)を曝け出し、その情報を提供し、その後一緒に考えたい。
・『患者の主訴を追え』と話し合いは違います。
・あなたのお話を伺う事は当然です。それを話し合いとは私達は捉えません。
・患者と医療者の人としての関係は大切。
少し、分不相応な勢いで描いてしまったようです。(落ち着け、冷静に戻らなきゃ。あたし(-_-;))
そんなクリニックで体験した経験の一部の紹介でした。
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丸幸 礼子