ナビゲーターの新田 珠子です(‘◇’)ゞ
咬合平面について私なりに何が読者の方に分かりやすいか?そんな紹介について、考えます。
一生懸命考えるも実際は、つたない臨床経験です。
私が入職してからの間で「そっか、咬合平面ってこんな風にとらえるんだ。」そんな現場学より覚えた話を紹介させていただきました。私の理解は発展途上です( `ー´)ノ
ーーーーさて、実際の臨床のお話。
20年弱部分入れ歯でした。部分入れ歯の弱点は鈎歯(金属がかかる歯)に負担がかかることにあります。この対応に、実はクリニックが解放される術を手に入れたのは3年前に遡るそうです。
私は一人前になる為日々頑張っているのですが、院長は別の角度で(多分、医療サービスと表現するためだと思います。)新しい情報を収集していたのかな?って想像することもあります。(ずっと続けているのかしら?)
何気に尋ねると「それが臨床というものじゃないかな」と彼にとっては普通なのでしょう。こんな感じで返されました。
実際に、院長に尋ねたところ、計測‐CadSystemが活躍できるようになって、治療は変わったとの事。技術革新がなければ実は今も同じところにとどまっていたかもしれない。そんな事を彼はつぶやきます。
でも、技術だから形にするには結論的な事をいえば、3-5年ぐらいかかっているかもね。俺だけじゃなく、技工士も対応しないといけないからさ。世間じゃ独特の技術と一線をひかれているみたいだよ。
なんですか?それって??聞いてみたところ、学会の重鎮をになう(役員)技工士が、そう称していたからね。そんな風に流しておけばいいんじゃない?
金属床を修理しようと型をとると
その場で即時義歯に入ります。ユニットでただ治す。そして噛めるようにする。前よりうまく噛めると褒められる
なら、これで完成に持っていくのかと思えば….違った_(:3」∠)_
咬合平面を合わせ…..この作業に1時間かけていた。
全体の均整化がはかれることを確認し完成へもっていく
≪術前口腔内≫
≪術後口腔内≫
院長に、なぜ、このようにデーターを介しても、患者感覚においても、何と記載しましょうか?私は、データーを前に尋ねます。このような、表現の差がでるのか?--新人のうちしか聞けないと思い尋ねます。
手仕事の医療としての表現ができる時代に近づいてきているのじゃないかな……と彼は言います。
そういえば院長はミーティングの折、手作業の医療からうちは脱却を目指そう!と言われてました。分からないので再度いろいろと聞きます。何故、そのような事を思いつかれたのですか?しつこく尋ねます。すると、「うーん……実際は、(この感覚を覚えるのは)偶然に近いと思う。」と困ったように返されます。
デジタル化を目指すというエネルギーがあったでしょ?次に菅総理になられた国策としてデジタル化が決まった。
俺、どちらかというとすぐに動けるタイプでないから、ゆっくりとデジタル化っていうの?その準備をする事にしたの。15年ぐらいかけたかな?
そのうちにデジタル化の可能性というのか?口の中でも表現が可能になることに気づいたのよ。一応、方法論は学会にも報告したし、肉体に起こる肯定的な変化も報告した。事実、言われた言葉にのるわけでもないけれど独特の作り方と揶揄もされた。(マジですか?と思う私でした。)
でも、揶揄されていたし、始め疑いの眼を持っていた都先生も、徐々に出来るようになっているしね。不思議な事に、この言葉で距離をおいた重鎮の技工士さんの弟子が実際に作製しているから、興味深いよね。でも、どうなんだろね?デジタル化の可能性がうちの新しいテクニックというか、より精度の高い技術表現を出来るようにさせてくれ。そう理解した方が良いのじゃないかな?で、何とか仕上げようという発想の手作業と、狙ったあるいは、設計した所に戻す手仕事という実際を感じる事になったのじゃないのかな?精度が、手仕事に導くと言った所になるのかな…
精度か(。-`ω-)・・・・院長は続けます。
「デジタル化は手作業主体が当然の歯科を手仕事に向かわないとダメという…うーん…黒船みたいな存在だと思うな。うちはそれに揉まれたくないと思って一つ一つクリアしながら進んでいった。準備してきた。そう言えば、何か見えないかな?で、繰り返し繰り返し、心掛けていたら、何というのかな…そう、偶然が起きた。そんな感じだと思うよ。」
偶然か…
はらたま きよたま 偶然でも手仕事の医療になるなら素敵かも(*´▽`*)人*:*
新田 珠子からのリポートでした♬
※追記….院長より笑う場所がないと突っ込まれました(;_;) だから負けず言い返します。笑いは次回じゃ<(`^´)>
ー後記ー
うちの院長は、評価を行う際は、保険で認められていない方法を取る場合があります。保険は、保険の流れの中、予め決められている行為以外は、行う事が認められません。対し、噛める事、あるいは、噛めている事を的確に評価するには、時には機器の力を借りる必要が出てきます。手作業であれば、評価は患者自身の主観か、あるいは、医療者の主観で充分かもしれません。ですが、手仕事という考えに立ち返る時、結果として、一個一個のステップに対し、評価を加える必要が出る場合があります。十分、次のステップに進む根拠が成立しているのか?あるいは、成立していない場合、もう一度、ステップを戻すべきか?この十分な根拠を、相当に院長は求めている様に、新人の私には感じられます。この時、保険という一つの括りでは対応できない事も出るのかなって、この頃は理解しています。 彼の考えを聞く事は、院長の性格からなのか、私があまりに知識が幼いせいか、中々、見せて貰えません。 唯、頭に残る言葉もあります。精度・デジタル化・手仕事の医療という言葉になります。 この紹介した言葉に対し、実際の治療において、その何割或いは大部分は、保険の枠組みでは認められていない。その側面は確かにあるようです。今回の紹介症例は、保険外の治療になります。その点は、どうぞ心広く受け止めて頂ければと思います。 20年弱、保険の義歯で満足感を与えられますか?そう聞いた時、院長に返されます。僕の認識でしかないけれど。半年~2年程度で作り直す事が視野に含まれる保険制度と、この額を支払った以上、これぐらいは(これは患者の主観に依存します)持って欲しいという思いも含め予後までの計算が要求される自費。精度を含め、どちらが厳しい条件が要求されると思う?(納得する私でした) 確かに、部分義歯に関しては、保険のデザインでは無い患者の方が予後が良い。この場合、歯が抜けるとか、新しく作るという視点ではなく、同じ義歯を修理する程度で済んでいる。これを予後と私は表現しています。人工歯が摩耗して、入れ替えるとか、その程度の作業で済ます例が多いように感じます。今回の紹介の様に、院長が焦った(様に感じる)症例は、久々の事だったようです。久々という話を先輩から聞いたもので、紹介する事に挑戦してみました。 決まった流れの中では、ドラマは生まれません。決まった事を規格的に行うだけですから。そして、規格の範疇に限界があれば、その限界までしか紹介できません。読み手にとり、限界の話ばかり繰り返されたら、窮屈でしょうし、併せ、新鮮さも何もない気が、私はします。 でも、ドラマは挑戦というのでしょうか?そんな繰り広げられた時間の中で生まれる。 その場で、入れ歯を部分義歯から、全部床(総義歯)に変える。(この流れというか、方法は、保険制度では、中々認められない側面もあるようです)私にとっては、新鮮な院長の手際でした。でも、それを基準に本義歯を作るのではなく、新たに確認また確認を繰り返す。その行為を続け、その間・間に評価を行う。この繰り返しの連続性の中から、完成に向かう作業。これは、正に、手仕事と表現する以外、私には納得できる言葉を用意できませんでした。そんな(私にとっては)ドラマ(と感じた、臨床の一風景)の一部を紹介させて頂きました。 これが、私の感じている内容になります。 その差は(保険・自費の差の事)、もしかしたら、検査を行う事での、(精度)確認の有無も、その一つかもしれません。歯の治療は、基本、物に置き換える事が実際です。物に置き換える作業が故に、保険・自費(この場合、保険が認めていない素材や、検査法等を含め)という仕切りが生まれてしまう。この事実を、私は改めて理解しました。 ”どの敷居を患者がくぐるか”或いは、”どの仕切りを選ぶか”これを、私は患者さんと一緒に考えていく事。これも、私の仕事の一つと理解を深めるに至ります。そんなこんなの、色々な事を、実はあらためて、今回の紹介を介し気が付いた次第です。 要領を得ない所もあったかもしれません。曖昧な表現もあったかもしれません。私の勉強は、これからも続けます。さておき、ここまでお付き合い下さり感謝します。 皆、元気でいようね!バイバイ |