急遽、ピンチヒッターとなり、また何かを書く事となります。
本当に、人に勤務して頂くというのは難しいと思う今日この頃でもあります。
ふと思うのです。
働き方には多様性があるべきだという意見もあります。きっと、働き方という方法であるならば、ある程度の幅が生れる事があると思います。でも、その動機となると、そこまで”多様化する事”はあるのだろうか。これが、個人の感想でもあります。
「生きる為に働くのか」「食べる為に働くのか」これが、個人のあたしが思う単純化した際の表現。社会学者でもないから、間違っているのかもしれません。食べる為に働く人の所属する意識を言葉にすると、多分①すげぇー余裕があって、働く上で、何かその都度、目的を定めて働く集団。②夢があって、それに向かう為に、正に食べていければ良いと、正に”かりそめ”の働き方を選ぶ集団。
この代表は、日本だと地主とか、株で成功されている方になるのでしょうか?唯、資本主義社会で、上手く金融を利用する方法を知られている方々なのかと一例として、想像する事もあります。或いは、既に持ち合わせている分、わざわざ目的を決めて、達成する事に喜びを見出すという所なのでしょうか。
もう一つは、想像するに楽です。分かりやすく言えば、芸能等に目的を定め、今は当座の生活が出来れば良いと考えている集団。
その一方で、生きる為に働く人が大多数なのだと思います。
その仕事が自分に合う人もおられれば、無理をされている方もいるかも知れません。あたしなどは、歯科医という仕事を始めた頃は、自分に合わず、無理をしているなって始終思っていました。不思議なもので、慣れたせいか、割り切ったせいなのかは分かりません。唯、ある時、歯科医という仕事が、自分に近づいてきたと思える時が、確かにありましたから不思議なものだと思ってもいます。
唯、厄介なのは、生きる為に働く際、無理しているなって思う頃。その頃合いの心境といえば良いのでしょうか。ここが厄介と思います。
多分、邪魔とでも云えば良いのでしょうか?阻害すると言えば良いのでしょうか?或いは、陥れる囁きと言えば良いのでしょうか?そう、いうならば魔の声の働きかけと表現出来るのかなって考えてもいます。
あたしは、心の中より囁き始める悪の声のと称すべきか、仮に悪魔がいるなら悪魔の声というのだろうなって個人としては思ってもいます。
悪の声は、囁きます。「この仕事は、お前にあっているのか」「この時代は多様性の時代だぞ。別に、これに拘る必要はないと思うぞ。」これが、目標が定まり、次のステップアップをすべく辞め時を考える際の声とはまた違います。日本の文化の一つ。感謝の声が支配し、『その時が来るまでは、しっかりと勤め(務め)させて頂こう。』『これだけ、惜しまれるのだから、勿体ない判断かもしれない。これを、忘れず、次につなげよう。』そんな善の声が身体に満ちるような気がします。
さて、この悪の声。どこから生まれるか?
唐突に結論を書きますが、きっと、視野の狭い自尊心から、声が出てくるのだ、私には思えて仕方がありません。
これぐらいにします。
引き続き、ブログを読んで頂ければと思います。