スタッフに任せていたブログに関しローテーションの都合上、編集役の私も少し参加させて頂いています。お見苦しい文章を書いているかと思いますし(浅学な分、粗さだけが目立つような気がして、お恥ずかしい限りです)ご迷惑をおかけする次第です。宜しければ、今しばらくお付き合いください。後、少しの参加で、影の編集役に戻りますので、どうぞご容赦を頂ければと思います。スタッフ視点で、ここの(こすが歯科)姿を描く事、これは私には、中々出来そうにありません。
経営者の顔に戻る時(診療中や、診療後の分析ではなく)、専ら一人お酒をたしなむ時です。その際に、ぼんやりと考えた事を纏めて書いているにすぎません。その下で、どう経営を守るか。そんな事を考えているのでしょう。患者と対峙し、対価として経営を維持する力を得る以外に、この頃は、お国様が考える事で経営が左右されると覚えた今、どうしても、考えざるを得ません。スラング的な表現で記しますが、憲法の言う勉強をして、税金を納めて、働いて、それなら国は自助・共助・公助の旗の下、公に恥じない限り、自由に生きる権利を渡たす。こんな理解をしています。
ところが、経済活動を流行り病で痛い思いをさせられている側としては、公助の部門は事務次官なのか、財務省なのか存じ上げませんが、しょぼく・せこく・小さくの3点セットで、苦痛以外は渡さない努力は見事と表現する以外ない。バラマキは我慢しないと許されないというメッセージを送る手腕、増税だゼイ(税)と感じさせ、恐れを持て、我々に忖度せいという手腕は、本当にお見事と感心する以外なさそうです。
今の総理が、国民にとってありがたい存在なのか、或いは、緊縮財政と矢野事務次官が欲しくなったら増税の人に早変わりの人なのか。(別名迷惑の人という。)これは、年が明ければ確信に変わると個人としては思っています。ありがたい方であって欲しいですが、矢野事務次官に忖度をされて結局は、しょぼくせこく色々なウットオシイ政策を調整の結果と、胸を張られて提案されるのだろうなって寂しく考えてもいます。
そんな事を思うに至った確信の出来事もありました。〇経新聞から「国債を発行すると経済悪化止まらない」と言う記事が出ます。今、それを言う所か?ここで、それを言う時なのか?と、呟く時もあります。
政府が国債を発行する→日銀が紙幣を刷って国債を買う→政府が国債の金利を日銀に払う→日銀の金利収益は日銀法により国庫に納める→国債の償還期限が来たら、また次の国債を発行するループの繰り返しで、破綻は起きない。ここからは、私は疎いですが、バランスシート下、成長戦略を建設する。ここが、大事なのだろうと想像します。
こんな事(太字部)を中学の公民で学んだ記憶があります。まるで、消え行く国が故に、悪化の度合いは最小限にしないと行けないという思想が根底にこの人らにあるのではないかと、穿って考えたりもします。或いは、公民で学んだことが、嘘か誤りで、矢野事務次官の説が正しいのか。仮に嘘か誤りなら、文科省の方は責任を取らねばならない由々しき事態を、この方は発言されたと思ってもいます。
さて、何故この公助のサボタージュ(これは、私の捉え方ですが)が、まかり通るのだろうと思う訳です。これって、第4の権力と言われる人々の、迫力が無くなった事に尽きるのかなって想像するようになっています。
少し話を変えます。私は、総理が目指す新しい資本主義とは、結論を言えば監視資本主義という言葉に象徴されると思っています。政府が進めるスマートシティは、間違いなく政府が行う情報監視の完成形になる事は、間違いないと思います。このスマートシティによる情報を掌握する企業が、監視資本主義で最大の恩恵を受ける企業とすら思っています。調整と聞こえはいい方法は、足して2で割るという方法で、総理は安直に選択されるのだろうなって考えたりします。すると、情報を沢山集める上で、メディアさんを用いて反応を探る。こんな手法が、相当に活用されるのかなって想像します。必要な時もあれば、不必要な辻褄合わせの時もあるでしょう。平時ならば、いざ知らず、今は怒涛の対応が迫られる時と思います。そんな時に調整とは、吞気な方法とお気楽な身分で仕事をされていると眉を顰めざるを得ません。(あくまでも私の感性では)
再び、別の日には、日〇新聞によれば「今の株安は、財政出動55.7兆円という過去最大規模の経済対策を打ち出したにも関わらず、日本株の買い材料になっていない。」と分析をされています。その理由は、旧来のばらまき型で、日本経済の潜在成長力を高めるとは考えにくいと、市場が市場が見透かしている事が理由だそうです。しかし、見方を変えれば、要はバラマキが悪だと、どなたかの希望の声を、私らに投げかけているように思えてなりません。本当に、今、彼なのか、総理の思いなのか分かりませんが、調整の末の反響確認を今行う事なのかと、寂しく感じます。きな臭さを感じる小心者の怯えと自分の事を評価できる始末、こんな酒の力で沸き起こる感覚は、個人としては困った物とする以外なさそうです。
どこにいて何をやっても、個人情報は結果、すべて把握されるのがスマートシティのもう一つの顔と思っています。しかし、把握する側が、公助の精神を持てない時、その持つ意味は、私たちにとって良い社会に繋がる訳ではない。もっと言えば、良い社会どころか悪夢の社会が来てしまう。そして、もはや逃れられない。究極は、ここまで覚悟をしないと行けないのかもしれない。そんな感じです。
その一方、ビジネスモデルとして、どう会社の活動を、個人の活動をアピールするか。ここに、活路があると考え、上手にGAFAを活用する事で、経済活動に活力が出る側面は相当だと思います。でも、道具は使いようで便利な物にも、怖い物にもなる。でも、それでは追っつかない事が起きるかも、と、同時に考えたりもします。
酔った頭で考える事です。脈絡は、きっと無いかもしれませんが、「なんでだろう?」と酒をたしなみながら思案を続けます。上手い表現ではありませんが影の存在であるべき情報の方々が、日向の存在であるが如く、振る舞う事、即ち、役割放棄に起因している結果の結末と想像したりもします。私の仕事も、影の存在と思っております。せいぜい頑張っても、日溜まりに為れる程度と思っています。患者が存在し、病態があるから生きていける。その事実を前に、日向の存在にはなれません。情報の方の仕事もそうでしょう。一つの仕事の側面として、権力者を批判をされる行為は、仕事の性質としてあるべき姿なのでしょう。ですが、何時しか相手を打倒する事を目的に批判を行い、批判の対象事象が存在していなくても、批判を続ける。この行動が、本質的欠陥になっている事に気が付かない。
更には、疑われる事に・批判される事に、問題があるから、疑われた側・批判される側がその事実が無い事を証明するように求める。こんな事をばかりを繰り返し続けていたら、政治的信条に対し共鳴される方は別に、普通の無色な人間は、最早、付いていけません。結果、テレビ・新聞を読む事・視聴する事から、避ける事にならないのかなって思います。
光と影という先の例で見直せば、批判する側はどう頑張っても影にしかなれません。公に対し是か非は別に、批判される側が光の立場である事を忘れてはいけない。その光を消して、影の側が光のように振る舞えば、無色の人間は避けざるを得ない。大事な顧客が避ける結果、情報の方の信頼度・収益性は凋落に、左下がり陥っているように思えてなりません。光が無い影は、闇そのものです。
情報の方々のアドバルーンという役目は決して私は、否定はしません。唯、持たれるべき顔とは別に、「役割放棄」「ウソ報道の横行」というのでしょうか。そんな行動の連続の結果は嬉しくない方向に世の流れを進めてしまう気がします。
その動機は、無色の人間にとっては、あり得ない(受け入れがたい)ロマンが動機なのか、自惚れから行動するのかは存じ上げませんが【*勝手に思い込んでいる私の推察「世の中を動かしているのは俺たちだ」というプライド〕このいうなれば、”我(エゴ)”のお陰で、社会は、嬉しくない状況の連鎖が始まり、終わりがなく唯、下降線に落ちる事になる気がしてなりません。酒が入る時、ぼんやり考える事なので、本当に小心者ねって、適当に流されて下さい。
経済通の方のコメントを追っかけてみれば、世界は金融不安があると漏れ聞こえます。専ら為替の部分でしか、私の弱いお頭は理解できませんが。〇経の(個人としてはアドバルーンと見ていますが)バラマキは意味ないとメッセージを出された頃合において、私達の通貨は4年ぶりの円安になり、北欧の通貨も通貨安になっていました。他方、アメリカは消費者物価指数は6%を越してインフレ状態になっています。インフレ通貨にドルがなっているならば、ドル安になると高校で学んだ気がします。でも、国際基軸通貨において、世界中がドルを求めている。だから、ドルが強くなっている。こんな風に考えないと合点がいきません。どこの国もドルを求めればドル資産を世界中が求めます。結果、為替の変動が起きる。ドルで借りていた所(企業?国?)は、ドルで返す事を貸し手である銀行なりが、当たり前に期日が来れば求められるでしょう。通貨安になれば、防衛策として金に目が行き金相場が上がるのではないかと考えます。でも、金相場は売られている(よう)です。虎の子の金を売ってでもドルを求めている、と考える方が自然な気がします。その先の出来事として、仮に債務不履行起きたらどうなるのだろうと思う訳です。更には、どうにもならず連鎖的に債務不履行が起きたらどうなるのだろう?そんな嫌な事を考えます。
かつてはギリシアのドラクマ・今はトルコリラなのでしょうか?一日でガツーンと暴落したようです。併せ、原油高で潤っている筈のロシアのルーブルも落ち込む。日〇新聞が、アドバルーンを挙げた2日連続の出来事でした。師走や年末は、金融不安が表に現れやすいと聞きます。
債務不履行になり、破綻・破産の連鎖が意味する事は、一転としてドルの必要性が急速に失われる。この瞬間、ドル安が襲う。即ち急激な円高の再来です。不自然な円高は、悪夢の民主党政権でこの国がどれだけ傷ついたか覚えていれば、経験をした側としては気が気ではありません。翻って、債務に対し延命を認めたとして、債務不履行者が立ち直るのか。延命を認める体力が、貸し手側にあるのか。私には分かりようがありません。
矢野事務次官には、バラマキと思える行為も、実際は国の未来への投資を意味する事。これが、彼にはどうにも理解が出来ない。私は、そう感じます。私とは違い優秀な大学を、きっと優秀な成績で卒業されたのでしょう。にもかかわらず。理解する能力が無い事が頭の痛い所だと、個人は思います。逼迫した情勢にも関わらず、影の人間は、光以上にあたかも太陽の如く、闊歩される勘違いをされている。影が、勘違いして、勘違いの影響の甚大さの意味合いが取れていない。大丈夫なのだろうか。
更には、総理におかれては、せこさに磨きがかかり、しょぼくまとめる事と小さく収める事に調整の本懐を見出されている気がします。総理自らが財務次官という影を光にされ、調整という方法に身を置く事で、光の側である総理が、率先して影に為ろうとする。あるべき”らしさ”を自ら、率先して放棄されているように見えてなりません。
世界がオリンピックにおいて、選手の参加は尊重するが、外交団を派遣しない選択を取ろうとしてしている時に、日本流のやり方があると啖呵を切るのは良いでしょう。では、他の問題でも日本流のやり方を取れれば良いでしょう。でも、されずに、誰の為かは存じ上げませんが、日本流を貫くと、調整の末決められた。意味が分かりません。
今は、アメリカと国際協調を共有する時と思えば、外相になられた方は、この内閣が大事にする調整の末、アメリカではなく中国に行きたいと張り切られる。情報の方の前で、ある政治家が「おかしい」と意義を唱えられてみれば、「行く事が決まった訳ではない。」と強弁を繰り返す。やはり、”らしく”ない。頭は良い方なのでしょうが、衝動の人なのねっと、苦虫を噛む以外なさそうです。
日台交流サミットの成功後は、お約束の中国が彼らの言う正義を発揮するのが見えている。挙句に、大国らしいふるまいを訴えに行きたい。と、最もらしい理由を述べられる。私からすれば、「林は中国のポチです」と、報告をされに行きたいだけねと、思えてなりません。
今の時期、経営者の私は、年単位で影響を受けた流行り病の傷を前に、借り入れは極力、控えたいと願います。そして、世界情勢の嫌な感じの前では、借り入れは避けたいよなって思ったりもします。
唯、厚生年金の残はあと1か月で払いきらねば、結局はスタッフに迷惑をかけますので、払いきるでしょう。1年で2年分の厚生年金の支払いの後では、来年の税金対策は、どうにもなりそうにありません。仮に消費税が5%なら、何とかですが行けます、3%なら来年の為の余剰資金にも繋がる。10%はやはり相当に重い。消費税は暫定的に下げる知恵もこの人らにはない。居丈高に嫌々のバラマキをしてやっているという態度なら、そんな施し入らないと、言い返したい。出来ないけれど。唯、徴税の率を少しの間、下げて頂くだけで転回が変わる。分からないのだろうな。頭が良すぎて。
岸田総理におかれては、出来ないなら言わなければ良いのにって、この頃ははっきりと思っています。不可抗力の影響で傷んだ側とすれば、今は頼りたい時と弱気にもなりますが、結論はしょぼい公助で我慢せいというメッセージで済まされる。小さな事業所から大企業に至るまで、釈然としない調整法以外知らないのだから、やりきれない。そんな所感を持つ経営者は多いと思います。私の場合、ちっぽけな存在、いえ、カゲロウ程度が妥当でしょうが。期待させて、裏切る様が相当に嫌なのでしょう。
ばら撒くのでなく、消費税を下げるだけでも効果はあるでしょう。でも、嫌々のバラマキをされたい。下げるだけでも、効果があるのに、駄目らしい。トリガー条項をやらない事と、本質は同じでしょう。とにかく偉ぶってバラマキに拘りたい。
いずれにせよ矢野事務次官の影響力で物事が進むなら、政党間の議論などという番組は無意味です。寧ろ、矢野事務次官を囲んで、各政党が疑問をぶつけて彼や財務省は影なのか、光なのか明瞭にする番組構成の方が素敵(意味ある)と、個人としては考えます。
ただ、安倍・菅政権時代の置き土産の借り入れ策に頼る以外ないと結論付け始めています。4か月で、そこまで改善するとは、どうにも見通しは立ちません。選挙(調整で、間を取るという方法を表に紹介する)前は、労働者の給与を上げた事業体には税金を下げると、総理は強く訴えていましたが、結局は”せこく・しょぼく・小さく”、影の人の影響で調整されるのだと予測します。(=口だけ)
「国民の誰がいくら稼いでいて、いくら脱税していて、どういう思想を持っていて、いつどこで誰と会ったか」を知るだけでなく、「無意識に考えを変容させ、新しい考えを植え付け、洗脳し、扇動できる」という手法をGAFAが、仮に勝ち得ているとし、その師範は、ジョージ・オーエルだったのでしょうか。考えすぎですよね。きっと。
小説「1984年」は21世紀になり、中国共産党政府が逞しく具現化されます。約14億人の国民の個人情報を上手に収集して行動制限までも、操作できるようになります。私にとっては悪夢に感じますが、見事に監視共産主義を構築された。
影の役割の人間が勘違いをされて光の如く振る舞い、光の役割の人間が陰の振る舞いをされれば、この監視型社会は、詰まる所、中国で終わるのではなく、これ自体が世界標準(デファクトスタンダード)になる気がして止みません。でも、それと並行してアメリカでは分かりやすい所ではCNNの偏向ぶりに視聴者が離れたのでしょうか。経営規模を縮小見直しに入る結果となっています。(影が光の如くの振る舞った結果と思っています。)国内では、情報の方々の働かれている企業体は、影の立場を忘れ光の戦士の如く活躍する度に、経営基盤が削がれて行っている。情報の方々が、自らを、世の中で起きる現象・事象に関し、自らを影と認識され、自らの価値観を押し付けない、ありのまま伝えるスタイルに徹されない限り、影の人の光の如くの振る舞いの横暴に対し、止める事は出来ないと思います。(社説や天声人語に相当する物は、お好きに、書かれれば良いと思います)為替上の金融危機は素人の考えすぎと思いたくあります。
でも、為替市場が荒れ狂っている時に、提灯記事というのか、アドバルーン記事はあまりに筋が悪いと酒の力を借りながら思った、他愛もないお話をシリーズ化してみました。
それぞれの人が、”らしく”に、苦しくとも拘らないと悪夢の監視資本主義が完成してしまう気がします。そのコツは、それぞれの、精神レベルに合せ多様性の価値観という存在し得ない幻想を渡す事から始まると思えてなりません。そして、その心は、分断で”らしく”が発揮できない勘違いの役割をするよう個々人に働きかける事。ここに悪夢を達成する方法があると見ました。
ま、生きていかないと行けない事実。やり直しが出来る内は、繰り返しでもやる以外ないのだろうと思い直す事としました。仕方ない。財務省の好きな施し(バラマキ)は、一寸の意地もあります。自体が自体で、なければ興味もありません。でも自体が自体が故に、腹が立つ。
落ち切らない所で、おしまいです。
補足)酒を飲みながら考えた事、思いついた事を纏めてみたら、こんなシリーズになっていました。
多様化と高度化が揃えば、人は本当に個性的でいられるのだろうか?
魔王が喜ぶ多様化なのか、視野を広げる上で多様化という価値の利用なのか?
個性を重んじた職場環境という言葉って、どれくらいなの?観念して考える方が良い気もする。
「情報化社会だからといって、リアルが肌感覚で捉えられる訳ではない。」それを呟きたい。