ナビゲーターの丸幸 礼子です。
こすが歯科も、現在は休診(年末休みとして)です。先生や私の仲間達は、それぞれの正月に向け、”ポワー”っとしていると言ったところでしょうか?
かく言い私も、家の大掃除をして、手頃感丸出しですが、軽いおせちを用意して、正月を迎えたく思っている感じです。
そういえば、昨年になりますが、院長がクリニックとして「(院長が)提示する言葉に、どれだけ自分が近づけるか、挑戦して欲しい。」そんな事を、私達に対し、申し述べられたように記憶しています。
具体的な表現は、クリニック事でもあるので割愛しますが、振り返ると、こんな所(を大事にして欲しかった)かな?って、個人としては理解をしています。個人の理解なので、見出しといった所でご容赦下さい。
♢限界は決めないで、成長出来る時は挑戦してみましょう!
♢既存に既にある、ひな形・形式に拘るのではなく、ここらしく、形式を時には壊し、体系化を図ってみよう!
こんな旗を掲げます。結果は別に、個々人にとっては、挑戦というのでしょうか、改革というのでしょうか…。適切な言葉を私は紹介出来ません。唯、抽象的な言葉から、個々人のレベルで具体化する事を、私達の課題として求めた。こんな風に、私は振り返ると感じる事があります。
彼は仕事に対して、直接的にそして、滅多に無駄を無くせと、注意を挟みません。
むしろ、ムラを出すな、集中力を切らすな。淡々と行う事に重きを置きなさい。と、急ぎ仕事をしない事を求める気がします。
深呼吸してでも、飴を舐めてでも、どんな方法を取っても良いから、機能的に動きなさい。それが、一番、無理をしない方法だと思う。無理は陸な事を起こさない。そんな言葉を掛けて来る事もあります。
そんな表現を渡す中、実際、ノルマ等の縛りというのでしょうか。そういった類や、それに伴う規則等は、私達から見ても院長は無頓着です。言うなれば、一切の強要はしません。でも相当に個々人、それぞれが、考える事を求めます。
考えていく過程の中で、野球詳しい知り合いに話すと、「野村野球のミーティングで求める内容みたいだね。」と指摘されます。しかし、釈然としません。それは、必要な材料を適宜彼が、私達に渡すか、必要材料の紹介を彼が行う程度だからでは、ないでしょうか。実際、ミーティングは嫌いらしくて、基本、私達には、強く意思を語り掛けません。
そこで、別の野球に詳しい別の知り合いに話すと、「落合野球みたいだね。」と言われますが、これも釈然としません。事実、考える事を求められる実地訓練の場面でも、実際の術式の確認等の訓練でも(患者を診るのではなく、相互実習と言えば良いでしょうか?)、彼は殆ど参加しません。
本当に彼は落合的なの?(そう思う私がいます。)それよりは、むしろ、野村的なのかもと、強いて選ぶなら、思ったりするのですが…。(どちらなのでしょう)
でも気が付くと、確実に、個々に成長して臨床で様になっている私達がいると、感じる事もあります。そんな話をT美先生にすれば、
T美先生は、笑いながら、別の応答をされます。
「私との打ち合わせは、相当に綿密よ。それにすごく幅広く細かい。」(じゃあ、野村的?)
その後、私達にT美先生がポイント、ポイントを伝える場合があるし、時には指導、時には、課題の提供、そんな感じで大抵は進んでいく。その後、私達は、個々の場合もあれば、全体として、何かを考え、課題の解決を図る。そんな感じが、振り返ると行事です。
でも、不安を感じる時もある。院長はどんな像を私達に対し、持っているのか。更には、あまり具体的な事を(私達)全員に対し、語らない。それでいて、歯科クリニックを医院としての組織を作ろうとしている。トップが、心に持つ姿を一切見せない事、これには、正直、混乱を覚える時すらある。振り返ってみれば、その原因は院長にあると思っている。私達と会話をする意思がそこまで無いのか、或いは面倒なのか、それは、私には分からないけれど、彼の持つ癖にその一因があると私は思っている。彼の感性が独特なのか、それに対し、私には批評する材料が無い。唯、私は彼の場合、何か課題や、気が付きがある時、一定の行動パターンを私達に取る。具体的には、こんな感じだ。
(私達にとっては)唐突に①。(誰に話しかけているか、分からないので、スタッフ側として感じる事は)独り言のように②、まるで、呟いている様③にしか、感じ取れない会話を、私達に持ちかけて来る。私達には、その会話の内の単語しか、頭に残っていない。
実際の所、これが、厄介と思っている。それは、後からその持つ意味が分かる事が多いからになる。曲者なのは、私達が意味を捉えられる時というのは、大抵は、問題が派生した後になる。結果、意味合いを理解できた時は、問題が既に生じている事となる。そして、その解決は、後手に回って、処理を図る運命を取る。これは、事業所というレベルで捉えると、致命的な事になる可能性がある、この意味合いを、ようやく私達は、この頃理解できるようになってきた。そして、頭に残る単語に意味がある事は分かっても、どうにもならない私達がいる。それも、事実です。
つまり、彼独特の何かを掴むスピードには、まだ追いつけない私達がいる。平易に表現するなら、そういう事になる。そんな私の感情を察せられたのか、或いは、T美先生は、私に対し気遣われたのか、何気に、問いかけられてきた。
「丸幸さん、聞くのだけれど、臨床のトレーニングはどうなの。」と、T美先生が問いかけて来た。
『全体で行う前に、タイミングを見て、私には、いきなり、こんな感じでっと。唐突に技術を伝えてくる。』私は、返した。「それで、すぐに出来るの⁈」驚いて確認するT美先生。『まさか、混乱して、困っていると…、又、タイミングを見て、こんな所かな?って技術を見せてくる。こんな感じが大事じゃん、ていう具合に、見せるだけです』
「それで、すぐ出来るの⁈」とT美先生が聞く。
今年はここまでとします。
皆様、良いお年をお迎えください。
私はお雑煮を食したく思います。
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丸幸 礼子