ナビゲーターの丸幸 礼子です。
聞いて下さい。
今。私、実は”ムッキー”状態です。
編集者的に、これじゃ【愛と憎しみ】を歌っているに過ぎないぞ!って言われてしまいました。
『なりたい自分・演じたい自分と、そうでない自分との距離』
それじゃあ、二つの相反する気持ちと感情を抱える自分を無理に受け入れようとする作業だぞ。
”そうなの”と、院長に指摘され、益々、深みの葛藤に入る私。
『これじゃあ、ハムレットの〔生きるべきか、死ぬべきか〕《このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。〕まさにそのものになるで。』
院長はデリカシーがない。その加減の無さは、半端ない。
私の心にビシバシ、鞭を打ってくる。
葛藤に浸る暇すら与えない。
あれれ、今、私浸ってるって言い回しを使っている。
何故だろう。
そういえばT美先生と話す際、良く言われる言葉がある。
「立体的に物事を考えない。これが玉に瑕。」
「丸幸は横軸で捉えようとするけれど、縦軸で物事を考えようとしない。」
思い出して、その意図を院長に聞く。
「先生は立体的に考えないと良く私の事を評価します。どうすれば立体的な考え方が出来るようになるのでしょう?」
お前さん、葛藤と言う漢字分解してごらん。
葛(かずら)と藤(ふじ)にならんかい?
どちらも、樹木に絡みつくツル草だで。
これがもつれて樹木に巻き込むようあってご覧よ。
これ、中々裂ける事出来んよ。
その状態で、想像してご覧よ。
横に自分を置いて分解出来もしないくせに分裂しようとする。”なりたい自分”と”そうでない(今の)自分”に分けて何とかしようとする。上手く行く訳ないじゃん。同じ自分だもん。
そういう時のお前さんの発想は、多分単純。嫌、単純でしかない。幼稚と言い換えてもいいかもね。おそらく、こんな所を基本に置くのじゃないかな?「出来そうな所から手を出して、気分が乗ってきたら、嫌な所に手を出そう。」ところで、自分単体の仕事なら良いだろうけど、そんなに上手くいくのかね。
しかも、お前さん気付いていないようだけど、その考えは、葛藤を納めようと試みているけれど、実は葛藤の炎を少しでもいいから、鎮静化させて、あわよくば、忘れようとしているに過ぎない。
単なる手法でしょ。実は、それって、発想じゃないよ。
炎をどう取り除くと言うか、消すと言う発想法を覚えないと、いつまで経っても、葛藤に入ったら最期動けないで。良く分らないけれど、私は何かに感動した。
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丸幸 礼子