ナビゲーターの丸幸礼子です。
歯が身体と合うように計算する。こんな考え方が存在するのか、どうか。
この判断は、読者のあなたに任せたく思います。でも、仮に歯を計算するとしたら、どんな条件がいるのだろう?
これが成立するには、実は口腔を把握し、計算する。どうやら、これが求められるようです。
当院の場合は、口腔を把握し計算出来ないか、そんな事を考え始めます。もう10数年前の話です。不思議な表現を用います。ご了承を。
治療の選択をする事になった歯牙、結局の所、一つ分かり切った事かもしれませんが、いったん削ってしまえば、極論的表現かもしれませんが、原型は跡形もなく消える。この事実は、歯科治療と言う性質上受け入れられるべき事実を思います。その削合量・形成量が、僅かであっても、元の状態と質が変わる以上、原形は変わると言うべきとすら、私は勿論私らは捉えています。
ですので、削った後から歯を計算しないと、どうにもならないようだと、後ろ向きに検討し、その意味を理解するようになります。
私達、業界には姿勢位と言う捉え方が”フワーっ”と存在します。
何故”フワーっ”か?それは姿勢位と言う定義と臨床上の具現性が弱いせいではないかと、同時に院長を含め私達は捉えるようになっています。
院長は何を思ったのか、仮にこれ10年前以上の話になります。
座高計を発注します。
あ、(この変わり者=変態?)何を考えているのか、私らstaffは最初は遠巻きに見ていました。阿保な事を始めたぞ。そんな具合です。
さて、こんな現症を目の当たりにした時、どう捉えますか?歯と身体は関係ないという言葉を言うには、少し苦しくありませんか?どうでしょう。
姿勢位って何だろう?
やはり、気になって院長に聞こうとします。
『王様の耳はロバの耳』『千手観音!』
いつものように逃げられます。私達の時々現れる日常事の風景です。
歯で姿勢(と言っても座高ですが)が変化しうる。
では、読者の皆様、嬉しい変化・嬉しくない変化。
あなたはどっちがあるべき姿と思いますか?
ア)歯と身体は相互に関係性がある。
だから、その事を意識して大事にして、歯科医は取り組んだ方が良い。言うなれば、仕事として身体の事も意識して仕事をしないと行けない。この意識をは、常に客観評価を横に添えて、身体と時に仕事として会話を求められる時がある。これを手仕事の医療と呼ぶべきかと考えるのです。ここには、職人気質は認められても職人に成りきる事は、中々難しそうです。寧ろ、データーを横に手仕事を行う必要が出るのかもしれません。
イ)歯と身体は関係ない。と言うか、調べる方法がないじゃないか。
だから、丁寧にやる。丁寧に行う作業に意義がある。この意識体には、職人気質が一番、相性が良い気もします。職人の醍醐味はその手作業の芸術性にあると言えば良いのでしょうか。私は、その芸術性に対し、対仕上がりが身体との相性が上手く運ばない時、どうなのだろうという立場を取りたくも思いますが、どうなのでしょう。
手仕事と手作業、どちらが望ましいのでしょうか?一緒に考えて頂ければ嬉しいです。
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丸幸 礼子