ナビゲーターの丸幸 礼子です。
今年はどんな1年になるのだろうと、2月になり改めて思い始めた私です。
ただ、どんな1年とは言え、全ては経済に支配される側面がある。この事は、曲がりのない事実でしょう。人生を積んできたせいか、この私でも分かります。
院長は昨年、こんな事を一堂と私に伝えました。
来年から(即ち本年)今までのような(歯科に限る)診療形態が、段々と通用しなくなる。
「時の時計の刻みが始まった。そんな位置づけの年になるような気がする。」こんな事を申していました。
私も一堂も、意味が分からず眉を顰めます。
分かったと言うか、イメージした事と言えば…
『一般開業医制度の終わりの始まり』
と言う意味合いでしかありません。
本当にそんな事があるのだろうか?
これが2人で共有した思いになります。
ふと思い立ち、調べます。
動機は単純でした。
院長に『終わりの始まり』として、保険制度がどうなるのか?
そんな疑問をぶつけた事から始まります。
彼からは、(こんな時はいつも私らには、抽象的な表現で)
こんな感じで返されます。
1.歯科における保険制度の成り立ちと、それがどう今に繋がるか?
2.各科の保険外の割合のリサーチ
1については、またの機会に紹介したく思います。
2に関しては、厚生省の医療経済実地調査を調べる事を、院長に求められます。
目立った所の主体に占める収益の構造比、保険・自費では以下の事に気が付きます。
2018年度ですが、平均値として歯科は(*自費の割合を示しています)
個人→15%
法人→21%
産婦人科
個人→23.7%
法人→23.2%
個人としては、歯科が相当に目立つとは言い難い。それに気が付きます。
院長が情報の方の発信は、
自費と言えば歯科!!
と言うイメージ作りばかりで、実態とは違う所もある。
ズルイよな!って言う意味が、少し分かった気がします。
%(割合)を除く収入では、歯科の個人診療所が、
2019年は671万弱で、
外科の個人診療所は755万弱。
データーを前にすると、世間で言われる《歯科は自費で儲けている。》と言うコピーは、どこまで本質を付いているのかと、個人としては、疑問に思うようになります。
こんな事を理解した上で、もう一度、院長に尋ねます。
「時の時代の刻みが始まった。」
何故、そう私達に伝えたのか?私達の理解になりますが、歯科のおける一般開業医制度の『終わりの始まり』と不思議な表現を、今更何故、私達に伝えたのか?そんな事ぐらいしか、思いつきません。疑問だらけです。正に、???という感覚です。意味が分かりません。
制度の設計と立て付けと言う言葉に集約させて、気が向いたら紹介したく思います。私なりの”つたない”理解になりますが…
よろしければ、時々覗いてください。アクセスが増えている事が分かると励みになります。
丸幸 礼子
*個人の見解ですので、一つの見方と捉えてください。次に、昨年は、歯科の平均割合は10%を切った模様です。唯、まだ未確認です。そして、少し暗い顔をしていると、院長に一言言われました。「終わりの始まりが意味する事って、”おしまい”だから、だけではないよ。同時に、その横で、新しい形態の誕生を意味するっていう事でもあるのだよ。」って言葉を添えられました。
ふと気が付きます。歯科の保健制度の成り立ちから考えると、分かりやすいのかもしれませんが、長くなりそうなので、またの機会に紹介するとして。一例を。リアル感を出す為に、数字で紹介します。
滅菌システム。院長開業時 30万~50万用意すれば、平準装備という評価でした。100万も設備を用意すれば、しっかりとした滅菌システムという評価を受けられた様です。院長は、理念上、後者のシステムを選択し、その構築・維持に努めて参りました。しかし、5年前に紹介された国の求め始めた指標は、クリニックの滅菌能力を遥かに越す物でした。
平等という視点なら、従前の30~50万でも、まあ今でもおそらく、対応は、出来ているという評価になります。どうぞご安心下さい。
公正という視点なら、実は国の目指す滅菌指標は、設備をお値段で表すと、軽く300~500万円の仕組みにならざるを得ないようです。
対し、公平という視点では、今、紹介した例に対し、国は保険点数の評価を変える事で、評価を変えるという方策に舵を切り替えたようです。設備投資に対し、あくまでも(私個人の)試算ですが、10倍の差が出てしまっている。その分、保険点数に差別化を図らざるを得ない、というのが実情のようです。
当たり前です。平等という視点では、不平等という括りで決める事もありなのでしょうが、10倍の規模感の差では、流石に無理筋でしょう。言える事は、この瞬間、保険制度は、今までの仕組みからその姿形を変える事を意味する。
そのように私は、理解しました。
当院も、流行り病のお陰で、経営的には相当に無理をし、更には計画の前倒しを行いました。そして、国の目指す滅菌指標に対応できるよう図って参りました。結果として、全てを今までと同じという捉え方で物事を見る事。これは、受け入れられなくなります。
*本年中に、クラスB仕様まで引き上げる予定です。これは、国際標準になります。そこまでする意味が、この清潔の国であるのか。ここは、院長の個人の価値観の中では、相当な葛藤の場所のようでしたが…教科書で捉えると、仕方ないと感情を向こうに納得した様でした、
国の目指す指標に合せ、滅菌体系の構築を終えた後は、(彼らが求める)管理体系の準備、管理体制の構築になります。(現在、その準備も行っています)。その後、準備・体制作りが出来た医療機関は(申請するか否かはそれぞれの経営理念に従うと思いますが)順次、申請を行う事が出来ます。そして、認可後、保険点数が上がる。当院も、その行動を選択する予定です。
見方を変えれば、競争原理の導入が、(色々と制度設計上では為されてきましたが)本格的に始まると言う事になるのでしょうか。競争原理が働くという事は、棲み分けや医療機関ごとに、レベルの差異が生じる事実を、国も肯定された。
この思考過程の中、私は、当たり前の事が始まったと言えるのかなって思い直し始めます。そもそも、どんな設備状況でも、同じ評価基準(この場合、お値段が;こんな表現で如何でしょう)という方がおかしいでしょう。
今回は滅菌になりますが、国の求めに従って、安全に費用をかけた医療機関は経営が苦しくなり。安全に費用をかけない医療機関は経営は苦しくないという事自体が、おかしいのでしょう。そして、1回限りの評価ではありません。
先の紹介した行動を選択すれば、どの医療機関も、評価は受けられます。評価を受けた後は、指定期間内に、必要な講習を受講する義務が生じます。(これを、怠ると、国から渡された評価は取り消されます)ですので、時間軸で捉えれば、平等も担保されている。
従前は、ライセンス者は一度免許を取れば、違法行為・脱法行為をしない限り、保険の建付けで守られていたという表現が、ここまでの流れ上、成立すると言えるでしょう。ですが、競争原理とういう枠組みが導入された意味合いは、確かに、院長の言う「終わりの始まり」という所に繋がるのかもしれません。
そんな事を、彼は私らに伝えたかったのかなって、今になって思います。補足として、加筆を加えました。宜しくお願いします。