ナビゲーターの丸幸礼子です。
ムッキーの後、私は少し院長の話を聞く気になります。
院長が言うには、こうだ。
葛藤は起きて当然。
当たり前の事。
そういう時は、葛も藤もイメージとして引っこ抜いちゃえ!
その時、抜く事に対し、自分の心の中で抵抗する何かが見える。
そこに葛藤の整理点が見える。
こういう事らしい。
私なりに考えをまとめてみました。
こいつをどう整理するか、どこの整理の箱に入れるか。
これは、心の整理の事だ。
私が欲張りなだけなんだ。
全部背負うとして、一人で葛藤している。
引っこ抜いたそこには”私”しかない。
あれもこれも、絡みつけば、他人から見れば我の塊に見えるだけかもしれない。
”私”しかいなくなれば、
”私は私らしさ”を見つめ直せば良い。
この業界の”らしさ”は徒弟性も根底にある。
なら、従弟制を今風に変えれば良い。
それだけだ。
言葉遣いかもしれない。
指示の仕方かもしれない。
私が葛藤する時って、大抵一人で背負って何も出来ない結果になる時。
これでまず間違いがない。
人に上手く任せられず、院長に取り上げられ凹む。
私が中心に動かないと行けないのに、あれもそれもと追って、
何も出来ず院長に怒られる。
別に全てをやれと求められていないのに、勝手にテンパる。
分かっている事は、彼は今解決しないといけないことには、日程を決める。
この日程に対し、管理する事を求める。
その分、自分の仕事を予め、軽くしておく事を求める。
徒弟制なら、その意味が捉えやすい。
遅れている仕事があれば、私が入れば良い。
そして今度また任せれば良い。
この繰り返しで、任せよう・育てようとする者も、いつか(仕事を)覚えるだろう。
それまでの時間を耐えれば良いだろう。
人はいつか仕事を覚える。
徒弟関係と思えば、出来ないうちはとことん世話をすれば良い。
それをgive upして、相談が来るまで待とう。
そんなカッコつけ。
私らしくない。
とっとと出来ていなければ、取り上げて、一緒に反省すれば良い。
私は、反省の意味を勘違いしていたようだ。
反省とは、自分が悪いを自虐になると、いつしか捉えていたようだ。
院長の言う朝〇新聞病だ。
自虐にならないと人間ではないと言う思想だ。
きっと、その方が都合が良いのだろう。
反省を見方を変えれば、評価と項目になる。
働き方改革と国の医療サイドに求める定期的に行っている。
あれま、私は何を葛藤していたのだろう。
引っ込抜いてみれば、見えるものもある。
何か肩の荷が下りたよ。
気が付くと院長は自分の仕事に戻っていた。
院長、伊達に年食ってないね。
いや、亀の甲より年の功か。
あの人は、あの人で多分自分の評価を自分で続けている。
その繰り返しか、人生は。
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丸幸 礼子