ナビゲーターの丸幸 礼子です。
『新しい生活様式』と聞き慣れない言葉が緊急事態宣言の延長の際、首相から発せられたように記憶します。
振り返ると、3月末段階で、欧米より遥かに死亡者を抑えられたのは、専門家会議のクラスター分析のお陰と言えるでしょう。3密『集(まらないで)・近(づかない)・閉(まった空間にいない)』と言う言葉がその象徴でしょう。
また、事実として、防疫体制の整った病院で専門家が、レントゲンなどを撮った上で、検査の必要性を判断する方式を私達の国は採用します。
メディアの方と野党の方々がこよなく愛するPCR検査主体とする方法は採用されませんでした。
判定制度が低いと言う事実は一切触れず、検査しない問題と言う意識をひたすら植え付けようとされているのでしょうか。
米国の例になります。
「誰でも検査が受けられる。」となった直後、病院に多数の人が詰めかけ、長蛇の列を作って、集・近・閉 状態になります。検査も何時間も待つ為、正にクラスター感染が起きてしまった。
この事実があっても、ひたすら検査に拘っている様は、意味合いを知るに付け、私は違和感を持ちます。
この部分を抑えると(知って頂くと)、医療インフラがいかに守るか。ここに1つの軸足が置かれるのは必然でしょう。私は、そのように捉えます。
その後、自粛の解放と言う流れになって行くのは自然なのだと、私は理解しています。
『ここに(自粛する行為自体に)混乱を与える』『クラスターか医療インフラを壊す検査教義』には、正直、医療に生きる身としては、一線を引かざる得ないと思っています。
悪意をお持ちなのか、マッチポンプに憧れておられるのか、存じ上げません。ですが、あまり好ましいとは思えません。
一過性のウイルスで落ち着けば良いのでしょう。
ですが、首相の言葉から、新しい生活様式と言うものを受け入れて行かないといけないのでしょう。
とんでもない物を作ってくれたものです。日出づる国の国民は思います。
そういえば、今回のテーマはし・げ・き でした。
日常生活は支障がなくなりますが、患者の持つイメージとしては、スカイダイビングが出来るぐらい、腕が動くようになりたいと言う事で、まだ途上ではあります。受け入れるのではなく、チャレンジしたいと言う事で、私共も戦います。
口の中には、まだ知られていない(解明されていない)未知のゾーンがあるのかもしれません。
日沈む国の土地に生きておられる方々も、同じ”とんでもないもの”なら、是非、人類の希望を作って頂きたいものです。
今回も㋗収まりきれませんでした。
次回は綺麗にまとめてみたく思います。
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丸幸 礼子