ナビゲーターの丸幸 礼子です。
デジタル化の旗印に対し、クリニック内では実は、緩やかなうねりが生じていた事に私もようやく気が付きます。実際、その具現化の試みが、継続的に行われ続けていた事。この事実に、私はハタと気が付きます。私達に任せたい分野があるとします。それは、それとして、院長は淡々と、自らが管轄しないと行けない場所をデジタル化が実際に行われる際には、早速移行できる準備をまるで計算したかのように行っている事に気が付くのでした。
振り返るとざっと、こんな感じでした。
1)院長はクリニックのセキュリティの整備が整うまで、ひたすらインフラを順次用意していました。
手始めは、FAXとPCが一体になるような、管理systemでした。
そしてコピーとPCが一括管理出来る事を準備します。
2)このsystemが出来上がるとすぐに治療体系の変革に取り組みます。
どう言った発想・着想から始まったのか、正直私には分かりません。
学会に歯牙の形態に関し、問いかけを始めたのも、丁度この頃でした。2-3年前まで続けていました。相手されないからなのか、彼の中の次の課題に移ったせいか、問いかけ内容が変わりました。変わった理由や、動機の詳細は、聞いても、今の所、答えを頂戴できません。
3)PCの活用に抵抗する人達も当院にはいましたが、それはそれとして、システムの構築を院長は模索します。そして、途中より新たな対応の下、組織運営を行う事を求め始めます。抵抗する人達、その意向は向こうに、それぞれに役割分担を果たすように院長は求めようとしました。
当然の如く軋轢が生じます。
❶そのこと自体への協力に抵抗する人(達)。❷それぞれに役割分担を求める事に抵抗する人(達)。
これが1~3年前のこすが歯科の風景でした。私自身も、実は❶❷の側にいた事は否定できません。正確に言えば、院長以外、全員が抵抗勢力でした。この立ち位置から、私達のデジタル化の挑戦が始まる訳です。思い出しながら、書いている自分が信じられません。どうして、挑戦を選んだのでしょう。私達全員が。
どうして、抵抗勢力の私達が、抵抗勢力を止めるに至ったのか。
こればかりは、未だに分かりません。うまい具合に、乗せられたとか、感情を含め、理性に納得を渡されたという言い方が絶妙な表現なのかもしれません。でも、上手く言えません。彼が巧く人を活用し、活用され活躍した恩人がいた。この人の登場の結果、私達も活きてみたくなった。未来に挑戦したくなった。多分、こんな些細な事がきっかけだったように思い返すと感じます。
”どうせ”という発想をする前に、”何処から”という着想をしてみたらどうだろう。”無理だから”から始めるのではなく、”どうすれば”から、考えてみたらどうだろう。こんな言葉のやり取りを恩人の方と繰り返す内に、ネガティブな言葉が、見事に排除されて行きます。このネガティブの言葉が排除されると、否が応にも私達の心が、裸にされていきます。変な例えですが、裸になると、私達は個人個人、自らとの対面を迫られます。
ここで、私達はそれぞれの心の城に籠って、裸の状態にされる事への抵抗を続けました。何故か、恩人も院長もその状態になると、追及を必ず止めるのです。この抵抗は私の場合、1年前まで認められていました。一堂は半年前まで許されていました。新人は、まだその域まで行っていないという事。ここの慣例を知らない事。勤務して半年の時間しか過ごしていない事。そんな事情もあり、院長や恩人が陰に日向に考え方を、私達への教育プログラムとは別に伝えているようです。ま、職場ですからそう言う物なのでしょう。ここは、気にしないようにしています。それぞれの教育プログラムがある方が、適切と私は思うように捉え方が不思議と変化しています。
裸にされる事を私達は、常に拒絶し、抵抗勢力に当たり前のように戻り続けました。この言うなれば、”甘えの構造”の排除の戦いは、結論を言えば昨年の秋口まで続きました。さて、4・5年前の話に戻りたく思います。
働き方改革の号令が始まると、法律に基づく遵守を明確に院長は行い始めます。最初はスタッフに、本当にどんどん有利な展開で運んだように思い返されます。
以前より、例えば更に夏休みが取りやすくなります。有休が今までより取りやすくなります。残業も私達が求めに応じて、殆どなくなります。その環境が1年続いた後、院長より以下の宣告がなされます。
私達は、残業を避ける為に、患者の受け入れを当たり前のように減らす事を求め続けました。そして、院長は受け入れました。そして、クリニックは極端に暇になって行きます。そんな状況下、宣告が為されたわけです。一昨年の事でした。2年前の事となります。以下、院長の宣告要点。
・労働環境は、良くした代わりに売り上げが下がった。
・生産性が上がらない以上、同一労働・同一賃金の規定に従い、給与を下げたい。
医療と一線引きます。その上で考えて頂きたい。
・成長を選び、昇給と言う可能性を選ぶか、成長は諦め、運の良い時昇給するかもしれない。それが無理か難しい場合、減給を受け入れるを選択するか。
この2択が渡されます。
抵抗を続けるか、挑戦か、この2択以外、渡されませんでした。私達は、始めてリアルな事の提起を目の当たりにします。でも、私達は、私を含め抵抗を続けました。でも、今度は、心の城に籠城する事は認めて貰えませんでした。籠城しても、例えるなら攻撃が波状に、陸から空中からと、持続的に続きます。私達は、自らの心を裸にしない為、心を守る為、まずは一方的に院長へ求めた条件の緩和から、私達は交渉を始めるに至る訳でした。そして、一つ一つ解決して行きますが、気が付くと見事に裸にされて、個々の城の扉は取り除かれていた。その事を後になって気が付かされます。大した腕前です。
そして、全員が落伍する事なく、デジタル化にクリニックは今の所、向かっています。
院長にその事を尋ねると、恩人(T美女史;いずれ登場します)が凄いのと違いますか?大したものだ。と、惚けます。
一方、T美先生(恩人)に伺うと、院長先生の慧眼でしょうと言われます。
実際は、どうだったのでしょう。交渉は、T美先生が専ら私達全員と、時に個々にと行われました。
彼がたまに呟く患者中心という言葉の凄みを、この交渉下でまざまざと知るようになります。或いは、見つめなおす結果に至ります。プロという意味合いを、確実に見つめ直さざる得なくなりました。プロの集団になる為の汗は、決して逃れられないという事を知るようになります。医療の前では、決して甘い感覚で働く事。これなど、決して許されないと心底理解するに至ります。今回はここまでとします。
”リアルは何時かやってくる⁉知らない顔で済ますか・立ち向かうか”その選択を迫られました。”
この表題の動機は、単純な理由です。問題が生じているのに、誰かが何時かやってくる(解決してくれる)。少なくとも、私が参加して解決する事はない。能動で行動するより、受け身に徹した方が良い。その方が、損はない。あとは、任せよう。そして、うまく立ち回ろう。汗をかくなど、以っての外。そんな意識を私達は持ち続けていました。
ですが、組織というのは不思議なもので、トップの力だけで、全てを解決できる訳でありません。そこに係る人、働く人、その個の力の結集から解決を図らないと行けない場合があるようです。そこには、役割が時に求められ、当たり前のように責任が生じます。
面白いもので、役割や・責任を持つ事を肯定する時、はたまた真剣に取り組もうとすると、私達の心に、別の行動が生れるようになります。それこそ、今までのように愚痴やネガティブな感情を入れる隙間がなくなると表現すればよいのか。あるいは、そんな余地を残すより、如何に解決に向かうか、そこに集中するようになると表現すべきか…。私達は、こんな発想をするように変わって行きます。
私共の様な小さな所帯だから、院長はインフラだけを準備し、変わる頃合いを探っていたのかもしれません。分かりません。私達の要求に従い、私達が居心地よい環境になるよう歩み寄って頂いた。100%では当然ありませんが。
でも、概ね認めて頂いた後、結果が(経営を維持する上で)駄目な実際は、私達には言い分や言い訳の余地が完全に消される事を意味していました。その為、私達はでリアル(現実)を受け止め、解決に協力するか、行動するか、(この選択肢は成立しませんが、一応紹介として記載します)変わらない事を選ぶか。これを、私達は迫られます。そんな一時の歴史を思い出した際に、何気に呟いたセリフを表題にしてみました。
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丸幸 礼子
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