編集役です。クリニックはスタッフの募集を再度行う事としました。
全概要とは行かないまでも、顛末だけは報告します。宜しく承知ください。愉快な話ではありません。ですので、楽しみに読まれている方には心苦しく思います。申し訳ありません。誤解を渡すのもどうかと思った事もあり、個人的見解の世界を紹介します。個人的見解という側面もあり、該当日のブログ事態を消す事があるかもしれません。
岩屋にお隠れあそばれた方は、最後までラインに徹しまた。無断欠勤、そして人とは一切の連絡を絶ち、社労士にのみラインで会話するという状態が続きました。
働き方改革の旗は、働く人が活躍できる社会を目指すという物と理解していました。しかし、これは前を見て働く人には素晴らしい制度なのかもしれません。同時に、舐めて適当に仕事する人には天国のような制度に生まれ変わったようだと、皮肉な事を合点します。
ところで、政府の雇用調整助成金は、6月で終了するそうです。答えは財源が底ついた。中小企業は、政府が給与のほぼ100パーセントの助成があった。そういえば、当院も借財を今回の流行り病で資金調達をしました。そして、3月に最後の機会なので融資を求めますか、そんな連絡が来ます。不要と判断し、謝意を示しつつも丁重にお断りをします。
今回のお隠れの人の事を、考えながらそんな事を思い出します。確か、大企業に対しても、給与のほぼ75パーセント助成と、かなりの手厚さもあったかと思いました。
財源が底をついたから、6月末にすべて終了。
すると、7月から、企業は雇用調整に入ることを意味するのでしょうか。
雇用調整助成金をもらう条件は企業業績の悪化、売り上げが前年度よりも5パーセント以上下落している、しかし解雇はしない等々条件があります。5%程度で済めば、当院も借り入れなど必要はなかったでしょう。
ただ、助成金の終了は①業績悪化を理由に②助成金打ち切りを理由に、解雇が始まる。これが意味する事なのでしょうか。
助成金に頼った個人事業、中小企業、大企業はどれくらいあるのでしょう。当院も昨年の急速の落ち込みの意味した事は、解雇も視野に入れるという所まで現実として個人は苦しみました。ギリギリまで苦しみます。ここまで借財を減らして、また元に戻る?個人の葛藤は並ではありません。
実際、かなりの数の雇用調整が為され保護されたのでしょうか。その影響は7月から具体化していく。そんな予測もあるようです。違う事を祈りたいのですが、どうなのでしょう。政治家は、何処迄地に足をつけているのでしょう。R4の乱のような日本に必要のない政党と揶揄される方々の、観念の世界で空想論争が相変わらず続くのでしょうか。彼らの現実は認識できないけれど、平等でない所を見つけてはクレームをつける、この終わりのない病気は拡がり続けるのでしょうか。勘弁して欲しい。
ところ変わって、現実社会の明日は、結構大変なことが起こるかもしれません。しかし、アッシとしては起こって欲しくありません。
えっ?航空が?自動車が?観光が?アパレルが?百貨店が?ウエディングが?チェーンの飲食関係がと、広範囲にわたる数の企業が大変な事になるのかもしれません。既に、彼らも助成金をもらっていたように記憶します。
不況到来を意味するのでしょうか。個人の見識という断わりを入れますが、この流行り病、全てを止める事に意味があるのかいまだに疑問を持ちます。さざ波という表現に、表現を用いた人間に社会的制裁を求めるメディアの方もおられるようですが、こんな事を続けていたらオリンピックなど開催できるのか?
メディアの人は、自分たちで自分らの首を絞めているようにも感じます。農作物の価格や材木の価格など、一次産品の価格がジワジワ上昇しているようです。オリンピックが中止となれば、不況の流れに向かう気すらします。これが、リストラの旗になるかもしれません。ワクチンを国民にほぼほぼ打ち終えたイスラエルの国の感染者数は、今の日本の感染者数とほぼほぼ同じだった気がしました。人口規模は1/10以下です。でも、国は平常を取り戻している。アメリカだって平常に戻ろうとしている。イギリスだってそうです。インド型は1.5倍の感染力と言って、実際、1.5倍の死者は出ていません。1.5倍の感染者数にもなっていません。でも、メディアは芯のない中、フラフラと煽る。煽ること以外出来ないのは、彼らに芯が通っていないからではないか。それどころか、芯という意味合いすら捉えられていないのではないか。この頃はこのように思っています。元に戻る事に、彼らは一切興味が無いでしょう。メディアの方自身が、リストラの対象になった時、平気で掌を返すそんな人種と理解した方が良いとすらこの頃は思っています。
*オリンピック開催に関し、参加する国が選手団を送らないとなれば、難しいのだろうなって思っています。実際、海外の論調は開催に関し厳しい。こんな感覚は覚えます。そんな状況を向こうに、一選手に開催を中止しろと言え!という強迫じみた行動は肯定できませんし、中止を政治活動の目的としている行為は相当に嫌悪感すら感じています。もてなしをすると世界に宣言した以上、結果はどうであれ、矜持を示す方が尊いと考えます。
感じる事は、さざ波なのに、経済を殺す方向を目指す。このように感じる事。これ自体が、個人としては嫌なのだと思います。
実際、日本中が自粛の嵐になった昨年、当院も間違いなく経営の危機を覚えます。そして、緩やかに経営も戻ります。その中での採用でした。そして、この方はつい最近、岩屋に籠ります。
前日に衛生士の技術を衛生士学校の1年目から見直し、基礎の確認を行う。ここに戻らないと、どうにもならないだろう。実力の問題に頭を痛め、ようやく結論付けます。そして、本人から”宜しくお願いします”。こんな話し合いを終えた翌日にお隠れあそばれます。
ラインのみのという(あたしの知る常識とは違う)違和感を覚える行動形式に対し、(行いたいとか、渡したいとかそういう意味合いではありません。)今の法制度は、罰則を渡す事を許しません。そして、例え不思議な働き方の方でも、丁寧に扱わないと行けない。これが、経営者に求められる働き方改革の裏の姿と知った。これは驚きでもありました。結構、きつい物があります。経営者を性悪説という一方向に縛る嫌いは、少しで良いので緩和して欲しく思いました。ブラックの企業には必要かもしれませんが、普通の事業体には、結構きつい縛りと思っています。縛りが無いと悪さをすると考える人もおられるようですし、一部の(左翼系に偏った政治思想の?)方にはその傾向がとみに強いようです。しかし、淡々と、日々臨床に取り組みたい側としては、そんな暇も余裕もありません。それよりか、こんな理不尽の構造に振り回される事自体に、一度、視点を置いて頂ければと思います。期待を持つ意味など、観念の人々にはないでしょうけれど。
話を戻します。
明日から戻ります→体調が悪い→明日から働きます。(こんなラインが続きます)
ご自宅にお伺いに行きます。(管理責任が理由です)
居留守であっても、体調が悪く別の場所におられるのかも分かりません。唯、訪ねて来たと分かった瞬間、そこから急展開。辞めます。これが、答えでした。
次は、ラインで、退職届の書き方の相談が来ます。ラインで答えさせていただき、何時付で辞めると記載すべきか、ラインで質問が来ます。(相談と称す表現では無かった。)
社労士を中心に行われます。あたしは唯、事後報告と状況報告のみが(社労士より)来ます。本人的には、有休を残した状態で自分が辞めると決めた日を退職日にされたかったようです。
泉谷しげるの春夏秋冬のフレーズだと思いました。「今日で全てが終わる。今日で全てが始まる」そんな言葉が感覚的に思い出されます。
社労士に意見を求められた際。あたしは、無断欠勤を行った日付けにするよう求めます。*本来は、相談の下、相互に齟齬が無いよう配慮して決めるのが通例と思いました。でも、ラインだし。あたしは、蚊帳の外だし。
しかし、実際はラインでは、相談行為とは程遠く、岩屋からの事後通達状態でしかない状況に社労士も困り果てます。社労士が話す事を求めても、毎度体調が悪く話す事が出来ません。この一点ばり。ラインでは埒が明かない状態だけが続きます。
お隠れ状態でラインを出す。→(社労士は)すぐに返信→→→(無視)→自分の要望のラインを送る(この繰り返し)
煮え湯を飲まされた感覚を覚えたのか、あたしは社労士に心無い言葉を吐いてしまったようです。いけませんね。歳をとった癖に、汚い言葉を用いるとは。いけませんよ、本当に。その節は失礼しました。気を利かせ、社労士は以下のような感じのラインを、お隠れなさった方に送ったようです。
「院長の立場には、管理責任があります。代理人か、御本人か分からない方にご連絡を申し上げます。唯ラインで、一方通行で、どなたか分からない方が言い分を通そうとする。これは事件に巻き込まれている可能性を感じます。その為、労基に相談後、一端、懲戒解雇にして、クリニックに被害が起きないよう保善を図ります。そして、本人の身の安全が確保された後、処分を取り消します。次に、労基の相談後、併せ、お巡りさんに相談し捜索願を出します。更に、身の安全を測る為に、家族の勤め先にお巡りさんから電話が行くようにします。あなたが拉致されている方であれば、すぐに本人の釈放を求めます。そして、何度も話す事を当人に求めても、話し合いは為されない。こう成っている以上、事件に巻き込まれたと院長は感じています。これ以上は、社労士としてはラインで、事を運ぶ。これは難しいと判断します。返信が1時間以内に来ない場合、彼は、すぐに行動に移る事を私に申しつけました。この事を報告します。」
すると、不思議な事が起こります。5分もたたない内に、ラインの方はお電話をされたのです。今までは、ラインを送っても、体調が悪い事を理由に無視を決め込んでいた方は、早速電話を返します。不思議なぐらい迅速な時の刻み方でした。これが、岩屋の方から漏れた最初で最後の音のようでした。
元気な口調でお話が始まります。(良かった。生きていて。)
体調が悪く電話が出来なかったそうです。
でも、事情があり病院には行っていない。 事情があるから仕方ない。自粛が一番らしいので。
皆様に挨拶をしたいそうです。
心が弱っている為、社労士の付き添いを求められます。複雑な事情がおありなようなので、丁重に遠慮しました。
退職日を、相談していたにもかかわらず、ロマンチックの方のようで、有休を残した状態を確保したまま、退職願を一方的に社労士宛に送付していました。もしかしたら、ラインと共に去りぬ。そして、後に有休消化の清算をクリニックに求める気だったのでしょうか?あたしの性格はひねくれている様です。
社労士に相談されたので、思わず本音が漏れます。「私は、本人とも一切話しておりません。無断欠勤をされ、その後も一切話しておりません。この方が本人と確認する術がございません。無断欠勤も思い返せば2回目となります。無断帰社も2回。無断遅刻もありました。
その度に注意で済まし、罰則は渡しておりません。その度に、労働条件を見直しております。彼女が働きやすいよう配慮を続けます。それが、この国が定めたルールのようですので、仕方ありません。不思議な事は、有休は働く人が明日の活力の為に、利用するものと承知します。それとは、何かが違う違和感を覚えます。
更に不思議な事は、給料の締め日が終了して、急に体調が悪くなる。悪い筈だけれど、病院には一切行っていない。病院には行かない状態が続いて、体調は2週間悪い状態が続いている。そんな状態が続いているなら、家族から連絡が来るのが普通かと思います。
そして、退職日の話し合いもさせて貰っていません。声も出せないぐらい体調が悪いという話。一歩下がって、先生にお任せしていました。ライン上で、何時付にしましょうと相談しながら、既に退職届の送付を終えている。妙な話です。
不思議な事に、本人らしき女性は、寝込んでいる筈なのに、病院に行けないぐらい憔悴している筈なのに、元気な声と来ている。これでは、本人と確認する事は難しいと思います。やはり、労基に相談し、その後、お巡りさんに相談する。家族の職場にお巡りさんから安否確認をしていただく以外ないと考えます。それか、やはり、直接面と向かって話し合いをする事が大事だと思うのですよね。
そういえば、これから、声が急に出なくなる事もあるかもしれません。それに配慮するとして…そういえば、無断欠勤をした日が退職日とされてしまいますと、私の管理責任は存在しない事になりますよね。仮に事件に巻き込まれていても、私は何もできない。だって所在を知らないし、家族でもない。どうした物でしょう…」こんな会話をしたような気がします。
すると、今度は退職届Ⅱが送られて来たのです。寝込まれているそうなので、ご本人なのか、あるいは代理の方の判断なのか分かりません。不思議な事に、届いた退職届Ⅱは、無断欠勤をされた日になっていました。(謙虚な方らしく、全て社労士事務所宛でした)
こうして、このお隠れ事件は終了を迎えるに至ります。本人には、次こそは社会人として踏ん張って欲しい、これを伝えたい。縁あった事もあり、エールを送りたく思います。
半年ごとに、くじけちゃダメ!1年は踏ん張る。1年踏ん張れたらもう2年踏ん張る。3年一つの仕事を同じ職場で続ける。その後、次どうするか。そんな風に考え方を改めた方が良いと思うよ。3年も経ずに(4間違えた)3件卒業はどうなのだろう。23度ある事は34度あるではなく、何かを変えないと45度目もあるで。やらない理由を見つける事に関しては、皆天才に成れる。けれど、やる理由を維持する事が出来るのは、自分でしかない。この流れ、自分の意思で食い止めなさい。こんなエールをしたいのかな。そんな感じです。
「今日で全てが終わるさ。今日で全てが始まる。」こんな事を思いながら、不安も抱えながら、今いるメンバーとクリニック運営をしたく思います。
不安もきっと、個々が何が出来るだろうと考える事。個々の人が自分が出来る努力を惜しまなければ乗り越えられるのかと、「今日で全てが終わるさ。今日で全てが始まる。」と、おまじないを呟いて前を見れば、苦しくとも歩けるのかなって思う事としました。諦めない心を何処かに残したいと思ったのでしょう。
以上です。妄想チックな盛り話とでも、承知ください。
コスガ
来週の月曜日から、就職情報誌にて募集を行います。衛生士は、1週前から募集を来年に向け始めています。また、別の募集方法も衛生士採用に向け行っています。職歴が不安定な方には注意を払う、これが、今回の教訓と言った所でしょうか。患者をプロとして対峙する、これが、ここの大事にしている顔です。
プロである為、これからも精進を続ける。そんな事を忘れないでいたく思います。