こんにちは、ナビゲーター一堂一花です🐻
流行病の当院の感染対策の工夫です💁🏽♀️
院長自身ある時期、こんな話をされました📖
「もう僕はこれ以上は分かりません🙅🏽♂️ネタ切れです⚡️。」と苦々しく、朝礼の際、私達を前に報告をします📢換気した上で、空気清浄機でウィルス対策をする🦠次に仮にウィルスが室内に入ったら、それ自体を更に消去しよう🚿でも、窓を開けて暑くなるならサーキュレーターでクリニックに、熱がこもらない様にする🎐」
無駄なエネルギーの使い方なのか、贅沢な無駄なのか❓私の立場では何も言えません😕
彼は「仕方ない❗️でも、仕方ない❗️」やりきれない思いが込み上げてくるのか…「踏ん張るしかない👣」物言い草で申し述べ事項を終えます📢何か自分の上司といえ同情をしてしまいます🤦🏽♀️そう言えば新人は時折、院長より雷が落ちます⚡️自分を見つめるという作業が相当に苦手なのかなって私は見ています👀何か迷っているのかと思い、問いかけると…
「考えて行動しないから駄目なのです😩」と私からすれば、違和感を覚える返事が返ってきます♻️なんか違うんだよなぁ、とそんな事を思います🤭ある日、我慢が出来なくなったのか院長がとうとう小言を新人に伝えます❗️(*今となっては思い出話です)
「考える事は尊い。でも今は違う❗️今は覚える時期だ。治療を覚える🦷体系を覚える❗️クリニック内の事を覚える🏥覚えてから考える。という手順だろ❓何も分かっていないのに、考えるという言葉で自己満足をするな。それを体の良い誤魔化しという❕
新人は強い💥言い返します。中々です😨(と、私は思います🤭)
「物事を自由に考えて何をすべきか、これを判断する事は駄目なんですか❓」
「他のスタッフ先輩は認めて、何故私は違うのですか❓」
院長の雷が落ちます⚡️
「あのね、何を勘違いしてる❓今の時代は自由と平等は全く親和性を持たんぞ❓かけ離れているからね💦この言葉が提唱された時代は、自由もなく身分制でカチカチで平等もなかった。だから、人々は求めた📢自由が保障された今、逆に平等は勘違いの元になる💦平等というのは相対的なもので、心の中で大事にしないといけないもの✨当たり前のモノです❗️人として持つべきコアの1つでしょう✨対し自由は権利です📚法律論じゃないからね😌あなたの言う平等というモノを認めたら、うちはガタガタになる😢だって君は何も出来ないじゃないか❕全員、君のレベルに合わせたら平等だろう。じゃあ聞く👂🏼君がこのクリニックの責任者で、君が全員の給与を出し、君が患者さんに対する責任を持っているならば、君の言う平等は成立するだろうよ❗️指示を渡してもメモを取らない📝指示それ自体を、それで覚えているなら何も言うまい😩指示それ自体を、片っ端から忘れる💭それも1回や2回じゃない、毎回だ‼️そして、結果、ミスを繰り返す♻️反省していないでしょう😱...間違えた💦その行為自体を反省していないと思う❕君はやれば、覚えると信じているみたいだけど、間違いです‼️覚えないうちは何も始まらないよ😥それが分かっていない😕」
新人の顔色が変わった😨
院長は続ける🗣
「今は忠実に行う❗️ただ、それだけ❕それが出来てからの次でしょう💨」
新人の業務日誌を書く顔つきが変わった📖✨
(そして、お隠れ遊ばせ、いつの間にか消えた…)🤔
今回はここまで🌜読んでくださりオーレイ(御礼)😃
またお👀にかかりましょう🌷
補足)新人が辞める前に構成し、編集役と相談の下、手直しを加え、ブログに載せる事としました。ここは、普通に働き、普通に患者と対峙する。(実はこれが一番難しいと思っています。)個性を紹介するとしたら、普通に患者と向き合う。これぐらいが、特色です。だから、当たり前に出来る事を求め、当たり前に出来るようすべく教育を渡す。
インプットをする前から、我流のアウトプットを仕事上表現すれば、組織である以上、苦言が呈される事があるかもしれません。我流のアウトプットに市民権を求める闘争をすれば、勘違いをするなと苦言を更に渡される場合があるかもしれません。
「普通に始め、そして普通に終える」上手く言えませんが、とても大変な事と私は思います。出来ない内から、出来る演技(本人はそんな余裕はないかもしれませんが)を続ければ、それが事故に繋がり、クリニックの信用の失墜に発展すると思うのです。これを院長は絶対に認めません。だれの利益にもなりませんので。
言葉を選びません。事故がある事が当然と捉える場合、大事な事は、普通に出来る技量を当たり前に習得する事。急いで習得しても習得しきれるものではない。焦らず、確実にを彼は求めます。一番嫌うのは、出来もしない内に、我流で邁進して、結果、現場を引っ掻き回す時だと思います。それが、現場を混乱させる上では、最高の毒薬です。
そして、そこに医療の難しさがあるのかもしれません。医療を大事にするという事は、患者を大事にする事。これらを大事にするという事は、普通に出来る事が最善と言う事実。これを何時しか壁にして、自らが作った壁を、どうしても受け入れる事は出来なかった。更には、壁の存在を認められないから、打ち破る事も、登る事も選べず、選ぶ事も出来ないから…勝手にお隠れする以外なかった。
そんな事を振り返った際に、思ったりもしました。普通も難しいですが、人も難しい。そんな思い出の話の一風景です。