ナビゲーターの丸幸 礼子です。
私頑張ってみました。
東京働き方改革宣言企業にいつの間にか入っていました。⇐これ、私も関わりました。。
いえ、正確に言うと認められた時期を院長が忘れているので、私共からするといつの間にか入っていました。となります。
院長も”いつのまに”がそんな意識です。
院長の持つ『いつの間にか』と言う言葉は、時に人を傷つけないと私は思います。
上手く言えませんが、物事が新しく始める時(あるいは、始めようとする時)
『すんなり受け入れる人』
『よく分からないと戸惑う人』
『拒絶する人』
って、分かれるのかなって、経験から覚えます。
私も正に『いつの間にか』捉えるようになっています。面白い物です。
「何故、否定的とか非協力的な人が存在するのだろう?」って、考える事もあります。この理由を考える時、私は幾つか思い当たる節を経験上、持ち合わせています。
一言で表すと、陳腐な表現で恐縮ですが…
『楽だから』
と言う言葉に集約される気もします。受け入れる事を決める(決断する時)時、その際は、必ず責任が生じます。と同時に
『良く分からない』
と言う表現を用いる事で責任から背を向けようと(意識的か、無意識的は別に)行動を選択する人も出るでしょうし、
動機は別に
『拒絶する。』
事で端から責任の存在を消す事を選ぶ人もいる。そのように、この頃は思うようになっています。言い方を変えれば、そんな理解をするように私は変わります。
そして、立場を変えて院長に言われる言葉を思い出す事もあります。余裕が出て来たので、思い出すようになった言い換える事が出来るのかもしれません。少しは成長をしたのかもしれません。
この仕事って、結果を強く求められる側面が多分にあると思う。何故だと思う。
分からない雰囲気を私が漂わす時には、私の感情などお構いなしに彼は堰を切ったように言います。
「形を司る仕事だからだよ。だから、結果が強く求められると言う訳だ。これって、可視化を評価されるから起こるのじゃないかな?」
不思議な事を相変わらず言うと思う訳です。
でも、ふと思います。
可視化と言うのでしょうか?この表現が妥当かは分かりませんが、続けます。(無理に何かを被るというか、かけるようにしている気もしますが、)気にせず加筆を試みると、この可視化出来る部分を、仮に他人と共有化が図れるとします。この時、実は以下の事が始まるのではないかと思うのです。
正に”いつの間にか”始まり、同時に何かが生まれるのかなって、そして、何かが始まっている。私は、こんな事を思うようになっています。感じていると表現する方が正しいかもしれません。共有化が出来る時、「いつの間にか」の、合図が鳴らされるのかもしれませんね。そんな話です。
今回はここまでです。
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丸幸 礼子