「所変われば、品変わる」ならぬ「歯が変われば、当たりが変わる。ついでに歯周組織も変わる」こすが歯科の場合
2024/04/15
丸幸 礼子です。
チャールズ・チャップリンは、昭和52年88年の生涯を終えた。彼は喜劇王と称賛された。しかし、彼の名声とは別に、演じてきた俳優の世界と同等なぐらいその人生は悲劇と喜劇の狭間を行き来したとされている。波乱万丈の時を駆け抜けた。そんな言い方が許されるかもしれない。
駆け抜けた波乱万丈な彼の時間は、後世に沢山の名言を残してきた。その名言は、時を超えて、後世の我々の勇気となり、人生の糧となる力を渡しいる。素晴らしいと私は思う。
私はその中から一つの言葉を、この頃は思い出す時が多い。
「人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには、絶望するか、さもなければ、哲学かユーモアに訴える」こんな言葉だったように記憶している。
私は、院長にそれなりの立場に立つ事。これを求められる事もある。私は、これ以上何を私に望むのか。十分であろう。ここに、私の中の葛藤がある。
しかし、彼の言葉がいつしか、意味深と言うべきか、含蓄ある表現から、変異してきている事に気が付く。哲学的な表現を彼が用いる事は、中々ない。そこまでのセンスは、院長に備わっていないせいだろうか。
彼は、この頃は、コントを仕事中に味わっている。仕事にコントは、あまり持ち込んで欲しくないのだけれど。演者が落ち着くまで、コントを演じる事に満足する迄、続ける以外ないのだろうね。只、身体が持つか、いつも疑問。耐えるという言い方も出来るし、待つという言い方も出来るだろう。
所変われば、品変わる。こんな表現があるものの、私の中では、コントは仕事中にあって欲しくないと思う。おそらく不思議ではないだろう。
そう言えば、先に紹介した症例の情報を提供したい。
腫れが引きました。
先生、結果が出ましたね。
私は、何時もの様にねぎらう。
仕事として、結果を出す。それが上司であれ、同僚であれ、私はねぎらう事を、何時しか大事にしている。良い事と評価されたい訳でもないが、悪くない事。当たり前の事と私は捉えている。
話はこの治療を開始する前の時間に戻る。
データーはどうだ。何時ものように、院長は確認する。
結果は、改善として現れていると思います。報告が上がる。
狙いは、ポケットの深さの改善であった。
そうか、これを(患者と)共有したい。その作業に入ってくれ。(患者に説明をして欲しい)
小説なら、この出だしでおそらく雰囲気が出てくるのだと思う。
しかし、ここから、少しずつ雲行きがおかしくなる。
コント風にアレンジしながら、物語が始まる。読み物です。読み物として捉えて頂ければ幸いです。現場で実演があれば大変です。
「ワダシ、今先生とさ、共有したダニ。」
えぇ?
「ワダシ、共有したダニ。」
(患者と共有)していないと思うが…
「先生と、共有したダニ。」にこやか😁に、ダニさんは返す。
先生はようやく気が付いたのか。違う、ダニさん,アナタと共有した情報を患者と交わして欲しいのですが。
「なぜダニ」
「情報は、患者と共有と確認がいる。患者の情報と言う事を思い出してくれよ。」
ダニさんは、ようやく納得したというか気が付いた。
「先生さ、そうならそうと言ってくれなきゃ、私、分からないダニ」
ダニさんは、ようやく納得し、患者に説明を始めた。
院長は、泣きそうな顔で私に訴えてくる。ファイト!これが、私から贈る言葉だ。
院長は、患者に説明をする。
噛む感覚を復活させたい。
ダニさんは、患者よりも先にボケてくる。
「復活の日か?その意味が分からないダニ」
ダニさんのボケル場所探しは、本当に隙が無い。あの院長に、とうとう叱る事を諦めさせた。その成果のお陰か、院長は、ダニさんを“る”の人と、呼んでユーモアで耐えようとしているように私は感じてさえいる。
ダニさん、彼女は、ダニー・ダニエル・スターシアと言う。
恐ろしいほど、ボケる能力に長けている人だ。
丸幸!私の出番だ。院長は、これ以上のボケに耐えられなかったらしい。
院長は、患者に私に説明するよう求める。
何、接触刺激と言うのだろうか。
前回の話(https://oralclinickosuga.com/article/detail/20240229164927/)言い方なら触覚圧と言えば良いだろうか。
このフェードバック機構におけるエラーのコントロールにて出力情報を変化させようと院長は狙う。
歯が変われば、当たりも変わる。さて歯周組織は?またの機会に…。
患者は納得した。
治療は、楔上欠損に対するアプローチだ。
多くの歯科医が楔上欠損はそつなくこなす。只、咬み合わせを大事にしているとすれば、実は、こんな知識があっても悪くないかもしれない。判断は読み手の方に任せたい。
ダニさんは、驚きの声を上げる。
「なんじゃ、こりゃあぁぁぁ。こんなことあるにかダニ〰。」
院長は、“る”の人と化したと、ユーモアのつもりの驚きに対し溜息を出している。
院長が私を見つめる。「助けて」そう訴えているようだった。
多くの歯科医が、当たり前のように熟す技術だ。診療所によっては、新人に渡す仕事でもある。私は、ダニーが、ボケる事は無いと思って見守る事とした。
しかし、ダニーはボケる場所を見つけた。これが、院長の言う”る“のひとと化した瞬間なのか…それを私は、誇る事は出来ないが、垣間見てしまった。
「人は圧倒されるような失意と苦悩のどん底に突き落とされたときには、絶望するか、さもなければ、哲学かユーモアに訴える」。この言葉を私はこの頃気になっていると紹介した。最初にこの言葉を知った時、浅学の私はシェークスピアの戯曲にある有名なフレーズと錯覚したぐらいだった。
人生のどん底に突き落とされたとき、人は絶望するのは当然でしょう。その時、そこから「人はなぜ生きるのか」みたいに哲学的な想いを持つ事があるのかもしれない。それとは、逆に、ユーモアの方向に行く場合もあるのかもしれない。これは、院長の、雰囲気から感じる様にもなっている。
芝居をかじった事があると言っていた院長は、キルケゴールの言葉を知っているか。“る”の人に化したダニ―さんを確認した際、私に呟いた事がある。
「ユーモアのなかには常に苦痛が隠されている。」
話を一端、ここで終えたく思う。
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