ナビゲーターの丸幸 礼子です。
院長は常日頃、組織が大きくなれば自分も大きくなれる。(資格を得られると言ったニアンスの方が正しい。)
組織が強くなれば、自分も強くなれる。(その資格が得られると言ったニアンスの方が適切。)
こんな事を、私には事あるごとに言われます。私には分かる様で分からない話でありました。💨
そして、同時に、こんな事も言われます。
自分が大きくなろうと思わなければ、組織も大きくなれない。😏
自分が強くなければ、組織も強くならない。😇
但し、組織に影響力を持つ人間でなければ、この言葉は成立しない。組織の庇護の下で守られてる人間は、その限りではない。
こんな事も言われます。
私には、分かる様で分からない話です。
院長は、デジタル化元年(と、国は決めたのだと私は思っています。)になるよな。。。否が応でも、デジタル化に巻き込まれる訳だから、対応しないといけないよな。
実は院長のコンピューターに精通していないくせに、クリニックのPC環境を進化させてきた。
私も聞かないから、その…、問題なのかもしれないけれど、実はPC環境を強くする→管理が大事になる→それぞれの個が(こすが歯科に働く人)情報管理能力を上げないといけない。
この意味を私は全く持って取れていなかった。
この作業に於いて、院長という組織の長とは別に、衛生士部門に於いても、責任を持って動く人がいる事を改めて知った。考えてみれば当たり前だ。
院長は、私にその地位を選ぶように白羽の矢を打ち続ける。
私は命がけで拒んだ。いえ、拒み続けた。それが、正しい。だからかもしれない。指示を忘れてポカする時もあった。
彼は泣き言も言わず、唯、黙っていた。
けれど、事件は起きた。
新人教育についてだった。
座学は順調に進んでいるとはいえ、臨床は中々だ。(そう期待通り上手くいくわけがない。当たり前だ。それを、私は傍観をしていた)一堂は滑稽に、その現場の一風景を物語にしたけれど、院長には、たまったものでなかったらしい。
患者の身体の不調に対し、医療現場は命がけなのに、横から片っ端に事件を起こす。(新人だから仕方ない)
私達は、現場が例えるなら、そう”戦場だ”。
院長の背中から、引くことは許されないと言う意思だけが滲み出ている。だから、彼は、私らに言うのだ。『見捨てられるのは、俺たち。傷付くのは、俺じゃないといけない。患者を見捨てちゃいけない。ギリギリまで、ギリギリまで、踏ん張らないといけない。そのギリギリを越したら、もっと、キワキワまで耐えないといけない。キワキワが無理だったら、フラフラになっても堪えないといけない。どこかに解決の糸口がある筈。それが仮に細い糸でも向かわなければ。そんな事を、(ここではこの表現を選びたい)嘯く。*そんな話は、私の目から見た歴史は、また別の機会に譲りたく思います。
流石に院長が新人を怒鳴りつけた!
そしてその後、私にも怒鳴りつけた。
私は・・・
「私ばかり怒る。」と感情的に返した。
院長が、そう、どんな時の弱気を見せない(よう振る舞う)人から、初めて泣きが入った。
いつまで、俺に依存する。何故、責任に対し逃れ、全てを院長の責任にする。
覚えておけ!人間はスーパーマンにはなれない。
スーパーマンの如く人間が振る舞うには、それぞれが責任を取る覚悟と行動が必要だ。各々が役割に対し、逃げないことが大事だ。
そして、その責務を時に命がけ、時に我を忘れ全うする。
それが唯一スーパーマンに近づく方法だ。
教育は一堂に任せると言ったが、指導は全体で責任を負って育てる。これは、院長の仕事をする事でないだろう。いつまで甘えるんだ。
「私ばかりに押し付ける。」
それが、私が彼に返した。精一杯の抵抗だった。
今回はここまで。
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私には、分かる様で分からない話でした。
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丸幸 礼子